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いつでも絶好調。
今夜もシャツIN! 俺が雷一家のキューピーだ! |
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2018.07.20 Friday
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頑張れ変なやつ。
2008.02.29 Friday
流行や文化について考える。 流行は文化の源であり、多かれ少なかれ流行に無縁の人間は皆無に等しいと思う。 流行には無縁でも文化に無縁な人と言うのはいくらなんでも居ないだろう。 まあ、どんな頭の固いおっさんでも「がちょーん」くらいは口にした事があるものだ。 今の若者の言葉の乱れを嘆いておきながら、若いうちは大抵当時流行っていた言葉を使ったりしているのだ。 大体後から、考えるとバブルな流行はお間抜けなものが多い。 ジュリアナ東京で毛の生えた扇子を振って踊ってみたり、タケノコ族の格好も笑える。 今流行っている、腰からパンツが見えるほど股下の浅いGパンなんて何年かすれば全然履かなくなってしまうものなのだ。 昔、カーペンターと言う大工さんが履くGパンが流行った。 たださまざまな流行も大きく根付いて、市民権を得ると「文化」として変貌をすることになる。 そうだなあ。 例えば、このブログ。 これって本来、個人的な日記な訳であって、あれこれ他人が言うのは変な事なんだよね。 しかしこれをあえて、外に公開出来るようにして、コミュニケーションのツール、もしくは自己表現の場として使う事が出来るようになったのだ。 もう今やこのブログってもう経済的にも世の中を動かす事が出来る、一つの大きな文化だと思うのだ。 さっきGパンの話をしたけど、戦前から考えるとアメリカの作業着であるGパンを日本人がこんなに履く事になるなんてやはりもう一つの流行としてではなく(これから先すたっちゃう事なんか無いでしょ)文化として根ざした証拠でもあるのだ。 俺は42歳だからマクドナルド1号店が銀座に出来たときは6歳だった。1971年の出来事だ。 当時は「歩きながらパンを食う」と言うことにとても嫌悪感を抱く人が多く居たと聞く。 そこはあまり日本では受け入れられなかったけど、マクドナルドが輸入したものはハンバーガーそのものじゃなくて、「立ってハンバーガー食べるスタイル」と言う文化ごと輸入したのだと言える。 これはサントリーがウイスキーそのものを持ち込んだのではなく「ウイスキーを飲むと言う文化」を輸入したのと同じ事なのだ。 そもそも、流行をつかさどる流れとして関わってくる人々を以下のように、俺なりに分類してみた。 まず、創始者。 これは流行や文化などを創始するすげえオリジナル人間。常に破壊し創造している。 マグマのようなパワーの持ち主。 端から見ていると相当な変わり者で、物の見方や、考え方も常人とは良くも悪くもかけ離れている。 流行や文化を発生させる人なので万人いや、億人に1人の逸材である。 創始者は諸刃の剣で、一歩間違えるとヒトラーや麻原のように恐るべしカリスマになる事もありうる。 その次に探検者。 創始者が1人で何かをしているとそこに感銘を受けて、真似をしてみる人々。 この人達も、相当なチャレンジャーであり、いつも創始者と探検者の間を行ったり来たりしている。 その次に冒険者。 新しいものに敏感で、常に現状では満足せず、人と同じ事をやる事が大嫌いで目立ちたがり屋。 ここは結構な人数がいると思う。 大体100人居たら10人くらいの割合だろうか。 日本は農耕民族で、平定、継続、保守、安泰が大好きなのでこの割合は少ないのだ。 その次に追従者。 世の中に流行り始めてやっとこさ真似してみようってのがこの普通の人たちである。 別になんか考えて流行に乗ろうと行動しているわけでなく、ただ追従している。 羊が前の羊の尻にくっついていくようなものである。 行動原理は「みんなやっているから」 大体はこの部類に入るはずであり、別に恥ずかしい事ではない。 めんどくさい事はなんも考えていないのが普通なのだ。 このようにさまざまな人々の手によって流行と言うのは作られているのだ。 当然、途中で止まってしまうものの方が圧倒的に多く、ほとんどは日の目をみないものなのだ。 そして初めは単なる流行だったものが大きく根ざすと文化として変わっていく。 一度根ざした文化は変貌していくが、なかなか消滅する事はない。 一口に文化と言っても世間や人間に有害なものもに変貌してしまうもの存在はしている。 例えば・・・そうだな。 暴走族なんかを例にとってみる。 初めてそれらしき事をやった人は「俺は単なる移動手段としてのバイクじゃやだやだ。もっとかっちょいいのに乗りたいのだ」ってところあたりから、改造を始めたのであろう。 それが「俺は1人で走るのはやだ」やら「ちょいとローリングや曲乗り」なんて進化していったのだろう。 最終的に何百台ものバイクで夜通し走って一般市民に迷惑をかける存在になってしまったのだが、本当に初めに「かっちょいいものに」から何かが生まれた瞬間と言うのはとても美しいものだと俺は思うのだ。 これはすぐに誤解を生むから、暴走族そのものの存在を美化しているわけでは無いと断っておく。 だから変わったやつは常人には理解できない素晴らしいセンスを持って居るので、決して落ち込まないでびゃんびゃん自分を表現して欲しいと思う。 どんなしょうもないと思われるものでも初めは奇異で、頭の固い一般人に笑われながら戦い抜いたからそこに結果として表れているのだ。 所詮一般人が「変だ」と騒ぐ事なんてそれだけのものでしかない。見たこと無いものに驚いて「自分の価値観で判断できない」と言うことを言っているだけなのだ。 その一般人たちも気づかないうちに創始者と探検者によって作られたものに依存して生きているのである。 変で全然OK この世の文化は形式にこだわらない変なやつが開拓してきたのだ。 みんなも変なやつを「変だ」で片付けないで いちど「すげえやつかも」って受け入れてみると 楽しくなるよ。 - | 13:38 | comments(2) | -| - |
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