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柿の種の思い出
昔、神奈川県の綾瀬市のセンターに赴任していたことがある。
その下請けさんの所にはタイ人が8人いて、みんな真面目でよく働く明るい青年達だった。
タイは微笑みの国と言われる所以が判る位、よく笑い、思いやりと優しさを持っていた。
センターの中のプレハブに住み込んで、自炊生活をしていて、日曜日なども休まずに働きづめだった。
また、彼等は家に仕送りをする為に、普段の生活を相当切り詰めていた。
よく、せんべいの柿の種と七味唐辛子をご飯にかけてお茶漬けにして食べていた。
俺が可愛そうだからと、たまにレトルト食品や缶詰などを差し入れたものだ。
すると負け惜しみなのか、柿の種茶漬けを「ウマイヨー」と言いながらかっ込んでいたのだった。

彼等はよく「セパタクロー」と言う、バレーボールとサッカーを足したようなスポーツをやっていた。
ボールを蹴って地面に着かないようにパスを出し合うのだ。
結構複雑な動きがあったりして、俺もたまに混ぜてもらったのだが、全然かなわなかった。

その後俺は転勤で、三重県に異動になり、彼らの事などすっかり忘れてしまっていた。
3年はたったろうか。
そのとき俺が聞いたのは、彼等が不法滞在で逮捕されたと言う悲しいニュースだった。
下請けの社長は3ヶ月くさいメシを食い、タイ人達は強制送還された。

その時の逮捕の様子は壮絶なものだったそうだ。
あらかじめ入管に包囲されて、令状を出したら、塀を越えて逃げようとするタイ人達を片っ端から捕まえてロープをかけてしまったのだそうだ。
見ては居ないがその時の様子は容易に想像できた。

確かに不法就労は悪いことだが、どうしても忘れられないのは、頑張ってくれた彼らの事だ。彼等は彼らなりに働く仲間として沢山貢献してくれたし、俺は沢山の事を彼らから学んだ。
そんな形でしか日本で働けず、遠い祖国の子供の写真をいつも見ながら明るく笑って働いていたタイ人達。プレハブのまわりはいつも洗濯物が干されていた。
生まれた国が違うだけでこの生活の違いは何なのだろうと思った。

俺は柿の種を食べるといつもこの事を思い出して、胸が少し痛くなるのだ。
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